2011年7月25日月曜日

子供坐禅会

町内の子供たちが参加し、子供坐禅会が開催されました。















2011年7月18日月曜日

施食会

大変な暑さが続く中で、恒例の行事である施食会が、近隣ご住職方のご荷担のもと、営まれました。

今年の法話は、林昌寺住職・宮地直樹師による紙芝居でした。宮地師は「夜の紙芝居」と題して、大人のためのちょっとほろりと来る紙芝居を自作上演しておられます。
今回はその中から2話を上演いただきました。

ちょうど今年植え替えた蓮が花を咲かせました。

2011年3月21日月曜日



「東日本大震災」に対する我々の態度について

西日本に在住する我々は、3.11の大震災以降に発生している絶え間ない余震や放射能の恐怖、あるいは停電の不安に悩まされることはありません。しかし、今回起こった大震災においては、2万人を越し、もはや3万人に近い方々が犠牲となったことだけは決して忘れてはなりません。

マルチタレントのビートたけしはこのことを”2万人が亡くなったひとつの事件として捉えるのではなく、一人ひとりが亡くなった事件が2万件あったのだ”と捉えなければ、その本質を見失うと、ある雑誌で述べておりました。

ある方は大切なお子さん、ご両親、お孫さんを亡くされたり、或いは一時にすべての肉親を失って天涯孤独になってしまったり、または家族すべてが残らず津波にのまれてしまった場合もあるかも知れません。

ここで考えてみなければならないのは、われわれはこの震災の犠牲者や被災者の方達に比べ、たまたま運が良く、幸福であっただけなのであろうかということです。

もしかしたら、この地震は中部地方に縦走する数多くの断層を震源としていても、おかしくはなかったのかも知れません。あるいは再び、濃尾地震や東南海地震のような大地震が、近い将来に我々を襲わないという保証はありません。つまり、現在被災者として苦しんでおられる方たちの姿は、今後我々が直面しなければならない苦しみの姿であるのかも知れず、また今回の地震により肉親を失った方々の悲しみは、曽て我々がそれぞれの肉親や家族とつらいお別れをしてきた姿そのものでもあるのです。

ここに至り、このたびの震災はまったく他人事ではないと言うことがご理解いただけると思います。つまり、今回の震災の犠牲者の方々を悼み、被災者の方々の復興を願うことはすなわち、我々自身の先祖を悼み、自分自身を供養することにほかならないのです。

だからといって自法寺檀信徒としては、もちろん必要以上に萎縮し、行動に制約をかける必要は全くありません。

ただ、このたびの震災による苦しみを我々自身のものでもあると正しく認識し、被災者の方々の幸せを願う気持ちを、自らの幸せを願う気持ちと同じく、常に忘れないようにしていきたいものです。

そのような心持ちで、これまでと変わらず、いやそれ以上に、皆さまには日々ご精進をいただきたく思います。  

合掌


2011年3月4日金曜日

大般若会







本年の大般若では、愛知県一宮市の久間慧忠師にお話しを頂きました。お袈裟と良寛の研究に情熱を掲げておられる師は、様々な良寛の資料をお持ち頂き、それを示されながらのお話しを頂きました。


2011年2月14日月曜日

2011年1月1日土曜日

謹賀新年



今年は役員の皆様が、キャンドルナイトを準備してくださいました。

白銀の境内に、ほのかに揺らぐろうそくの明かりが、幻想的な雰囲気を演出していました。






晦日の日中から本降りの雪となりました。日が差した瞬間に撮ったスナップです。



自然は美しい、自然は強い。これは絶対的な真実でしょう。

一方、不自然なものは美しくなく、不自然なものはもろく、弱い。これも真実です。



まっすぐ、美しく、優しい心をもって、自然の山々の姿を見習い、たくましく生きていきたい。
そう願いつつ、正月三が日はご祈祷を勤めさせて頂いています。



世のすべての人々に、福寿無量、万福多幸ならんことを。



















今年のしめ縄は、既製品を参考に? 作ってみました。多少は格好がついたかな。