2009年12月31日木曜日

正月準備

床の間の花、注連縄、門松、鏡餅、すべてお手製ですw








これで新年を迎える準備も万端です。

2009年12月28日月曜日

お正月のもちつき

毎年12月28日はお正月のお餅をついています。

献餅は、必ずまん丸く作らなければなりません。

今年の出来はいかがでしょうか。。

2009年7月28日火曜日

児童坐禅会

夏真っ盛りの7月27日と28日の両日にわたり、飯地小学校の四年生以下の児童が当山で坐禅を行いました。








2009年7月20日月曜日

平成21年 施食 総会

7月第3月曜日の海の日は自法寺の施食会です。

”施食会”は従来は”施餓鬼会”と呼ばれる行持でありましたが、昭和の終わりに、『行持規範』という曹洞宗の儀式の基本マニュアル改訂の際、これが誤解を受け易い呼称である等の理由により、行持名が変更され、今日に至っております。

このいわれは、釈尊の弟子の一人である阿難が、一匹の餓鬼から死を宣告され、釈尊から、それを逃れるためには、ある方法で餓鬼や修行僧に供養をするようにと指示された事にちなむ行持です。
それが後に、餓鬼を中心として広くもろもろのみたまに供養する行持となったのです。
前日までの豪雨がうそのように晴れ渡り、痛いほどの日差しが照りつける日となりました。

近隣ご寺院様方のご隨喜をいただき、午前十時から、開山忌法要、施食、特別施食が順調に行われました。
法要後は高安寺・各務素弘住職よりご法話をいただきました。
各務師は現在、布教師としての研鑚をつんでおられます。
各務師の祖父である各務祖英師は、当山二世でもあり、また当地に親類も多くあります。そのことから、ご自身ともゆかりの深いこの飯地町との”地縁”についてお話をされ、その大切さを説かれました。また、お施食の意義や、人間にとっての慈悲のありかたについてもお話をされ、特に憎しみを持つ相手に対する慈悲のありようを説かれました。
法話の後は、檀信徒総会が開かれ、当山の予算決算、事業報告等がなされました。
ちなみに当山の会計は全檀家に完全公開されております。
近年、法人の会計制度に対する批判が、特に宗教法人に対して厳しくなってきておりますが、当山ほど透明性の高い会計報告をなしている寺院は、近隣にも稀であろうと思われます。
このことは当山檀信徒の皆様にとってはごくごく当たり前のことではありますが、実はこの点も、檀信徒の皆様が当山を誇りうる点であろうと思います。

2009年4月8日水曜日

花祭り

飯地保育園の園児のお参りの樣子。

2009年4月2日木曜日

横内正氏来山


4月2日、ドラマ「水戸黄門」の初代格さん役である俳優の横内正さんが自法寺へ来山されました。

2009年3月4日水曜日

大般若祈祷会

毎年3月4日の大般若会を、本年もお勤めいたしました。
これは皆様の一年の無病息災を祈り、本年がますます良い年になるようにとの願いをこめてお勤めさせていただく、禅宗での代表的なご祈祷です。
三蔵法師として知られる玄奘三蔵がインドでの留学を経て、膨大な経典と共に長安の都に帰ってきたのは、旅に出てから実に18年ぶりの645年のことでした。
唯識という、仏教での深層心理に関する学問を主に修めた玄奘でしたが、帰国後の中国での翻訳作業において、『大般若経』600巻や、『般若心経』を訳出したことの方が、一般的には知られています。

このたびの法要で用いられているのが、まさにこのときの翻訳による『大般若経』なのです。『大般若経』は「空」に関する教えを中心としてさまざまに展開していますが、その教えは262文字の『般若心経』にエッセンスがまとめられ、さらには最後の「ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー」という真言にすべてが集約されていきます。

仏教では世の苦しみの根源には無明があるという認識のもと、教義が構築されていきます。
無明とはすなわち仏教の教えに対し暗く無知である状態です。そしてその「無明」を「般若」つまり仏教の智慧によって破壊することに無限の力があるのです。よってこの『大般若経』を奉持し、転読という方法で、経文によって巻き起こる風をすみずみに行き渡らせることが、功徳を生むのです。

とかく間違った認識で世を見、間違ったマスコミの認識を信じてしまうことが、世相を暗くしてしまう一因であるかもしれません。現今の経済の状況などは、ほんの一時の浮沈にしか過ぎません。
本物の教えは、経典を始め、古典の中にこそ見いだせます。仏教経典に限らず、千年の歴史に耐え抜いた古典籍に親しむことによってこそ、われわれの進むべき道筋が見いだせると思います。






法要後、副住職から、このたびお迎えした羅漢さまについてのお話をさせていただきました。

釈尊涅槃会

2月15日はお釈迦様がお亡くなりになった日です。それにちなみ、お団子をお供えし、法要をお勤めいたしました。

お釈迦様は35歳(一説に30歳)でお悟りになったあと、長い伝道の旅に出られました。晩年のある日、クシナガラという町で鍛冶屋のチュンダという者の供養による料理(豚肉料理であったといわれます)を召し上がられた後、体調を崩されてお亡くなりになったといいます。直接の原因がこの豚肉料理であったのかは定かではありませんが、お釈迦さまは実は胃腸が弱かったともいわれています。

しかしここで興味深いのは、このときの料理が豚肉のものであったということです。一般的には禅の精進料理に代表されるように、仏教徒は肉食をしないと思われている方が多いと思いますが、実は他宗教と比較しても、食に対するタブーがほとんど無いのが仏教なのです。

食と宗教のテーマは大変興味深いのですが、長くなるのでまた今度。


2009年1月14日水曜日